君のいないただそれだけで


 その男は不満そうにしていた。
部屋には誰もおらず、彼の様子を見咎めるものもいない。
それがますます彼を不機嫌にさせていた。
 彼は結婚して間もない。
だというのに、彼の妻となった女性はライタとしての自分を優先させ、
そのまま出張に出掛けてしまったのである。
「いかんな〜」
 むっつりした顔で言うものの、声に迫力はない。
彼はそういう人だった。
「これじゃあアレやん、結婚した意味あるんかなあ?」
 難しい表情をして呟いている彼の腕には、ぬいぐるみが抱かれている。
それをふにふにと強弱を付けて抱きしめたり緩めたりしながら、
彼は愛する女性のことを思った。
「…………」
 自立したところが印象的で、交際を申し込んだのは自分。
仕事を続けてもいいからと言って、求婚したのも自分。
「………………」
 しかし釈然としないのは、側にいたいという欲求からだった。
だからといって仕事なのに引き留めるわけにもいかず、彼は妻を見送った。
 それが一昨日、結婚して2日目のことだ。
「あーでも納得いかん!」
 どう転んでも彼は妻を愛していた。
その懊悩が彼をじったんばったんとせわしなく左右に揺らす。
「何してんの」
「おぉ!」
 ぬいぐるみをぎゅっと抱いて、彼は声に振り返った。
「い、何時の間に帰ったん」
「今さっき」
 ということは、先程の一部始終を見られていたということだ。
彼はそう思い当たり少し恥ずかしくなる。
「で、ご飯は」
 彼女はマイペースにそう言った。
二重瞼はいつも彼女を眠そうに見せている。
「ご飯!?」
 自分と妻では能力差が開きすぎているというのは、前々から知っていた。
彼女の言っていることも分かる。分かるのだが。
 ここまで差を見せつけられると、どうにも不満が噴き出してくる。
男女平等の世の中だというのは分かっているが、
新婚早々放っておかれたのも事実なのだ。
「ちょっと待って、何でそうなるの」
 彼は苛立って立ち上がった。
妻は表情を変えない。
それに対してもまた腹が立っていたのだが、彼はそれに気付かない。
「何が?」
「結婚早々俺をほっといて、何でそうなるん?」
 彼は支離滅裂なことを言った。
頭に血の上っている彼は、もう言葉を選べなくなりそうだと自覚していた。
「かなり疲れてるからご飯作って欲しいんだけど」
 対する彼女は頭に手をやるだけで、けろりとして答える。
「やだよそんなん」
「じゃあ買ってくる」
 近くのスーパだかコンビニだかに行こうとした彼女の前に立ちはだかる。
「何なの、さっきから。訳分かんないよ」
 彼女の言っていることはいちいち尤もだ。
何処かでそう分かってはいるのに怒りを抑えられないのは、彼の未熟さ故だった。
彼女はそれを知っていて黙認しているが、彼は気付きもしない。
容認が彼女なりの認め方だとは、知りさえしない。
「折角、結婚したのにさ」
 言いかけて、妻に見られているのを意識する。
彼女は何も言わず彼を見返している。
「したのに、何?」
「したのにさ……」
 言葉は続かない。
「だから……」
 自分の負けだ、と彼は感じていた。
それくらいは分かっていた。
「何か作るわ」
 だから、側にいて欲しいのだと。
 彼はそう言わずに台所へと向かったが、彼女はすべて理解したように微苦笑した。
 その表情を、彼は知らない。


 13000ヒット、「パパさんとママさんの新婚時代」。